「ジェンダーギャップ」という構造的ばぐを検分する


日本のまつりごと(政治)を紐解いていく中で、どうしても見過ごせない大きないびつさを常々気にしております。 それは、国の設計図を描く場に 「圧倒的に女性が少ない」 という事実でございます。

本日は、日本の「ジェンダーギャップ(男女格差)」と政治の関係について、わらわなりに検分した結果をお話しいたします。

世界から見た日本の現在地

世界経済フォーラム(WEF)という機関が、近年は毎年6月ごろに「ジェンダーギャップ指数」というものを発表しております。これは、各国の男女格差を「経済」「教育」「医療」「政治」の4つの物差しで測った成績表のようなものです。

まことにお恥ずかしい話ですが、この成績表において、日本は先進国の中で常に最下位クラスを彷徨っております。直近5年の成績を振り返ってみましても、以下のような有様でございます。

  • 2021年:156か国中 120位
  • 2022年:146か国中 116位
  • 2023年:146か国中 125位
  • 2024年:146か国中 118位
  • 2025年:146か国中 118位

教育や医療の分野では世界トップクラスの成績を収めているにもかかわらず、 「商い(経済・管理職の割合)」「まつりごと(政治の参画)」 の2つの分野が、全体の足を大きく引っ張っているのです。

とくに政治分野においては、衆議院議員や閣僚(大臣)に占める女性の割合が1割〜2割程度にとどまることが多く、世界基準から大きく遅れをとっているのが実情でございます。

なぜ、まつりごとの場に女性が少ないのか?

では、なぜ日本のまつりごとにはこれほどまでに女性が少ないのでしょうか。そこには、根深い「構造的な不備(ばぐ)」が隠されております。

  1. 無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)

    「政治という力仕事は男性がやるもの」「女性は家庭を守るもの」という、古くからの固定観念が社会の根底にまだ色濃く残っております。

    思えば、わらわが学舎で学んでいた時分には、「女子は家庭科、男子は技術科(図工)」と、性別によって受ける授業がくっきりと分けられておりました。

    これもまた、無意識のうちに性別による役割を刷り込む「ジェンダーギャップ」の初期設定(デフォルト)であったのだと、今になって気が付きます。

    令和の今でこそ、男女ともに同じ授業を受ける仕様に修正(アップデート)されたと聞き及んでおりますが、こうした過去の教育の積み重ねが、大人になった今でも見えない壁となって立ちはだかっているのではないでしょうか。

  2. 過酷な「選挙のからくり」

    日本の選挙活動は、朝から晩まで街頭に立ち、地域を練り歩く体力勝負の側面が強く残っております。

    家事や育児、介護などの負担が女性に偏りがちな現状において、この過酷な活動と生活を両立させることは至難の業でございます。

  3. 旧態依然とした組織風土

    政治の世界は、長年男性中心で築かれてきた「同質性の高い村社会」になりがちです。

    かく申すわらわも、学舎を巣立ち社会に出たばかりの頃は、この世が「おじさまの、おじさまによる、おじさまのための社会」であるかのように感じられ、なんとも言えぬ居心地の悪さを覚えたものでございます。

    まつりごとの世界には、いまだにそのような古い風土が色濃く残っているのでしょう。そこに新しい属性を持つ者が入り込み、仕組みを変えていくのは容易なことではありません。

多様性の欠如は「品質の低下」を招く

わらわの生業である、エンジニアの視点から申しますと、 「同じ属性の人間だけで作られたシステムは、必ず偏りや見落とし(ばぐ)を生む」 という理(ことわり)がございます。

たとえば、車椅子に乗ったことがない人だけで駅の設計図を描けば、必ずどこかに段差の不備が生まれます。それと同じように、男性ばかりの偏った目線で「国づくりの設計図(法律や予算)」を描けば、女性の健康や働き方、子育て、介護といった生活に密着した課題が後回しにされたり、実態に合わないちぐはぐな制度になってしまったりするのです。

女性の議員を増やすことは、単に「数を半分ずつにする」という表面的なお話ではございません。 多様な視点を取り入れることで、 「まつりごと(政策)の品質そのものを向上させる」 ための、不可欠な営みなのでございます。

わらわの検分(所感)

いかがでしたでしょうか。 「ジェンダーギャップ」とは、一部の女性だけが直面する問題ではなく、この日の本という国全体の「システムの健全性(品質)」に関わる重大な指標でございます。

先の見聞録で学んださまざまな陣営(政党)が、この構造的な不備にどう向き合い、どのように多様性を取り入れようとしているのか。それもまた、わらわたちが「一票」を託す先を見極めるための、重要な物差しの一つになるはずでございます。

これからも、世の理を多角的な視点からしかと検分してまいりましょう。