中東の核たる地~なぜ「パレスチナ」はかくも重要なのか~
皆さま、ごきげんよう。 イランを中心とした中東の複雑なる対立(動乱の中東情勢を読み解く)を検分いたしました。
その折、生存と領土をかけた「イスラエルと周辺諸国の対立」に触れましたが、その舞台となる「パレスチナ」の地こそが、中東におけるすべての争いの「扇の要(かなめ)」にございます。
本日は、なぜこの小さな地が世界を揺るがすほどに重要視されるのか、その深層を検分して参りましょう。
三つの教えが重なり合う「絶対の聖地」
パレスチナ、とりわけその中心たる都市「エルサレム」は、単なる土くれではございませぬ。ここは世界を二分、いや三分する大いなる宗教にとって、譲ることの叶わぬ「魂の拠り所」なのでございます。
この地がなぜそれほどまでに尊ばれるのか、三つの教えの歴史を紐解いてみましょう。
ユダヤの教え:三千年の悲願と「嘆きの壁」
古くは三千年も昔、ダビデ王が都を置き、その子ソロモン王が壮麗なる神殿を築いたことに始まります。この地は彼らにとって、神より授かりし「約束の地」。しかし、長き歴史の果てにローマ帝国によって神殿は破壊し尽くされ、ユダヤの民は国を失い、世界中へと散り散り(ディアスポラ)にさせられました。 現在、その神殿を囲んでいた外壁の一部だけが残されており、これを「嘆きの壁」と呼びます。二千年もの間、流浪の民となった彼らが、いつか祖先の地へ帰らんとする強烈な悲願の源泉が、ここにございます。
キリストの教え:救世主の受難と「復活の地」
ユダヤの地に生まれたイエスが、人々に愛と赦しを説き歩いた舞台にございます。当時の権力者によって危険視されたイエスは、このエルサレムのゴルゴダの丘で十字架に架けられ、処刑されました。 しかし、その死から三日後に復活を遂げたという奇跡こそが、キリスト教の信仰の核となります。彼が十字架を背負って歩いた苦難の道や、その墓とされる場所に建つ「聖墳墓教会(せいふんぼきょうかい)」は、今も世界中の信徒たちが生涯に一度は巡礼したいと切望する、祈りの頂(いただき)にございます。
イスラムの教え:預言者昇天の「奇跡の地」
七世紀、イスラムの預言者ムハンマドが、神の御使いに導かれて聖地メッカから一夜にしてこのエルサレムへ飛翔し、そこから天へ昇って神の御前に至った……という壮大な「夜の旅」の舞台とされております。 その昇天の地とされる岩を覆うように建てられたのが、黄金の丸屋根が美しき「岩のドーム」にございます。イスラムの民にとって、この地はメッカ、メディナに次ぐ「第三の聖地」であり、かつては彼らが祈りを捧げる方角(キブラ)でもあった、極めて神聖なる不可侵の地にございます。
ひとつの小さな街に、これほどまでに異なる「神への信仰(正義)」がひしめき合っている場所は、この広い世界を探しても他に類を見ませぬ。
二千年の悲願と建国:「シオニズム」のからくり
歴史の波に翻弄されたこの地が、現代の激しい戦火に包まれる決定的な契機となったのが、ユダヤの民による建国の歴史にございます。
ローマ帝国に追放されて以来、世界中を彷徨う流浪の民となっていたユダヤ人ですが、十九世紀の終わり頃より、「再び我らの祖先の地であるシオン(エルサレムの丘)へ帰り、国を創ろう」という運動が熱を帯びて参ります。これを 「シオニズム(運動)」 と呼びます。
そして先の大きな大戦(第二次世界大戦)において、欧州で未曾有の迫害(ホロコースト)を受けたことで、その悲願はついに沸点に達しました。欧米諸国の後押しもあり、1948年、パレスチナの地に 「イスラエル」 というユダヤの国が二千年の時を経て復興を遂げたのでございます。
三つの陣営が織りなす「現代の勢力図」
このイスラエル建国により、中東の盤面は、三つの宗教がそのまま「国家の陣営」として睨み合う、極めて複雑な力学へと変貌いたしました。
- ユダヤの陣営(イスラエル) 世界で唯一のユダヤ人国家。周囲を敵に囲まれる四面楚歌の中、強固な軍事力と並々ならぬ覚悟で、自国の生存と聖地を死守する構えにございます。
- イスラムの陣営(周辺の中東諸国) イラン、サウジアラビア、エジプト、シリアなどの中東諸国。スンニ派やシーア派といった宗派の違いはあれど、「かつてから住んでいた同胞(パレスチナの民)を追いやったイスラエル」という共通の敵に対しては、激しい怒りと対立の炎を燃やしております。
- キリストの陣営(欧米の強国) 亜米利加(アメリカ)や欧州の国々。歴史的には十字軍などでイスラム勢力と聖地を奪い合いましたが、現代においては、過去のユダヤ人迫害への贖罪や、中東における自国の戦略的な足場(エネルギー利権や防衛線)として、強力に「ユダヤの陣営(イスラエル)」を後ろ盾から支えております。
つまり、現在の中東で火花を散らす最も激しい争いの構図は、「ユダヤの陣営」対「イスラムの陣営」が直接刃を交え、その後ろから「キリストの陣営」がユダヤの陣営へ強大な力(武力・資金)を貸し与えているというからくりなのでございます。
ひとつの街を奪い合う「首都」のからくり
「パレスチナ」とは都市の名にあらず、ヨルダン川西岸やガザといった 「地域の総称」 であり、そこに住む民が樹立を目指す 「国家」 の枠組みを指す言葉にございます。
イスラエルは、先ほど挙げた三つの宗教の聖地 「エルサレム」 こそが、自国の永遠の首都であると強く主張しております。 しかし、パレスチナの民もまた、「いつの日か独立を果たした暁には、このエルサレム(の東側)を我らの首都とする」と掲げて譲りませぬ。
つまり、 ひとつの都市(エルサレム) を、双方が『我らの首都だ』と主張して相譲らぬ状態にあるのでございます。
この問題はあまりにも危険な火種であるため、日の本(日本)を含む世界の多くの国々は、イスラエルの主張を公には認めず、「テルアビブ」という別の海沿いの都市を事実上の首都として扱い、距離を置いているのが実情にございます。
世界の交差点たる「地の利」
そして地理的な視点から見ましても、この地は極めて特異な宿命を背負っております。 パレスチナは、「アジア」「アフリカ」「欧州(ヨーロッパ)」という三つの大陸を繋ぐ架け橋の如き場所に位置しております。
ゆえに、ローマ帝国、十字軍、オスマン帝国、そして近代の大英帝国に至るまで……歴史上の名立たる覇者たちが、世界の覇権を握るために幾度となくこの地を奪い合って参りました。交通と軍事の要衝として、古来より血塗られた歴史を持つ「呪われし、されど魅惑の地」なのでございます。
アラブの民の悲願と、中東を束ねる「大義」
現代において最も重きをなすのが、この理由にございます。 先の大きな大戦(第二次世界大戦)の後、この地にユダヤの民の国「イスラエル」が建国されました。しかし、その陰で、何世代にもわたりこの地に根を下ろしていたアラブの民(パレスチナ人)が故郷を追われ、難民となってしまった悲劇がございます。
- 共通の痛みと怒り: パレスチナの民が故郷を奪われた悲劇は、周辺のアラブ諸国、ひいては世界のイスラムの民にとって「我が事」のような痛みであり、決して見過ごすことのできぬ共通の「大義(正義)」となりました。
- 対立の火種: 先のイランもまた、「虐げられたパレスチナの民を救い、イスラエルに抗う」という御旗を掲げることで、中東における自らの影響力と正当性を高めております。
パレスチナの地は、もはや単なる一地域の領土問題ではなく、中東の民が団結するための「象徴」へと昇華されてしまっているのでございます。
結びに代えて
「互いの掲げる正義が、どうしても同じ場所を求めてしまう」
パレスチナがかくも重要なる理由は、この地に何十億もの人々の「信仰の核」が埋め込まれ、引くに引けぬ状態となっているからに他なりませぬ。
異なる正義がひとつの地でどうすれば共存できるのか。遠く離れた日の本に暮らす我々にとっても、この果てしなき問いは、決して無縁ではございませぬ。
本日も、わらわの修練にお付き合いいただき、誠にありがとうございました