夫婦の氏(うじ)を巡る議論~「選択的夫婦別姓」のからくりと日本の行方~
皆さま、ごきげんよう。 本日は、長らく熱を帯びた議論が続いている 「選択的夫婦別姓(せんたくてきふうふべっせい)」 について紐解いて参りましょう。
家族の絆を守るべきか、個人の歩み(キャリア)を尊重すべきか。この議論の根底にある「からくり」を検分いたします。
「選択的」という言葉の真意
まず大前提として、この制度の最も重要なからくりは 「選択的」 という言葉にございます。
現在、日の本の法律(民法第750条)では、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と定められております。つまり、結婚する際は必ずどちらか(現状は約95%が妻側)が名字を変え、同じ氏を名乗らねばなりませぬ。
「選択的夫婦別姓」とは、「結婚したら全員が別々の名字になりなさい」という制度では決してございませぬ。 「今まで通り同じ名字になりたい者は同姓を選び、生まれ持った名字のまま生きたい者は別姓を選べるようにする」という、 「民の選択肢を増やす」 ための仕組みなのでございます。
江戸の理(ことわり)と明治の法
ここで一つ、歴史の時計の針を江戸時代へと戻してみましょう。 「夫婦同姓こそが、日本の古き良き伝統である」と考える方もおられますが、実は少々歴史のからくりが異なります。
- 武士の妻は「別姓」であった: 北条政子を思い浮かべてみてください。源頼朝に嫁いでも「源政子」とは名乗りませぬでした。武士の世において、妻は実家の「氏」を生涯名乗るのが習わし(夫婦別姓)でございました。
- 庶民に名字はなかった: 江戸の町民や農民は、そもそも公に名字を名乗ることを許されておりませぬでした。
現在のように「国民全員が名字を持ち、夫婦は必ず同じ名字を名乗る」という掟ができたのは、 明治時代に入ってから(明治31年の旧民法) のこと。つまり、夫婦同姓は武士の伝統でも平安の雅でもなく、明治政府が「家制度」を整えるために作った、比較的新しい決まり事なのでございます。
異国の理~世界は氏をどう捉えているか~
では、海の向こうの異国ではどのようになっているのでしょうか。 実は、法治国家として発展した国々の中で、「結婚したら必ず同じ氏を名乗らねばならぬ」と法律で縛っているのは、今や世界で日の本(日本)だけでございます。
1. 欧米の自由と「子どもの氏」
- 米利堅(アメリカ)や英吉利(イギリス) 個人の自由を極めて重んじる国柄ゆえ、同姓、別姓、互いの氏を繋ぎ合わせる(結合姓)ことも自由に認められております。子どもの氏についても、父母のどちらの氏を与えるか、あるいは両方を繋げた氏にするかなど、親の自由な裁量に委ねられております。
- 仏蘭西(フランス)や独逸(ドイツ) 現在では別姓を基本とするか、自由に選べる「選択的」な仕組みが定着しております。フランスにおいて子どもの氏は「父の氏」「母の氏」「両方を繋げた氏」から選べますが、父母で意見が割れた場合は、法律により 「父と母の氏をアルファベット順に繋げたものを、子どもの氏とする」 という、極めて平等かつ合理的なからくりが用意されております。
2. アジアの別姓と「血統」の掟
同じ別姓でも、清国(中国)や高麗(韓国)などアジアの近隣諸国は、西洋の「個人の自由」から生まれた別姓とは根本からからくりが異なります。 アジアの伝統において、氏(名字)とは「今の家族」を示すものではなく、 「誰の血を引いているか(血統)」 を示す消えない刻印にございます。夫婦となっても血の繋がりはないため、生涯自分の氏を変えることはあり得ませぬ。 子どもは父の血筋を受け継ぐ者として 「父親の氏」 を名乗るのが古くからの掟にございます。家の中では「夫と子どもたちは同じ氏を名乗り、妻(母)だけが異なる氏で暮らす」風景が、彼らにとっては当たり前の日常なのです。
3. 世界に実在する、さらに数奇な名乗りの掟
「同姓」「別姓」の枠にすら収まらぬ、世界独自のからくりも存在いたします。
- 西班牙(スペイン)や中南米:「二つの氏の掟」 人は生まれながらにして 「父方の氏」と「母方の氏」の両方を並べて名乗るというルールがございます。結婚しても夫婦の氏は変わりません。そして子どもが生まれた場合、「父が持つ一番目の氏」と「母が持つ一番目の氏」を組み合わせて子どもの新しい氏といたします。
- 氷州(アイスランド):「家名なき掟」 代々受け継ぐ名字(家名)という概念が存在いたしません。彼らの名字は、 **「父親(または母親)の下の名前に、『~の息子(ソン)』あるいは『~の娘(ドッティル)』と付け足したもの」**になります。親と子、さらには兄弟姉妹でも名字が異なるのが当たり前の世界にございます。
- 緬甸(ミャンマー)など:「そもそも名字がない掟」 ミャンマーやチベットの一部などでは、そもそも名字(氏)というものが存在せず、下の名前(個人名)だけで一生を過ごします。氏がないのですから、夫婦同姓や別姓といった議論すら起こり得ないのです。
4. 海の外からの厳しい声(国連の是正勧告)
こうした世界の流れの中、海の向こうの国々が集う大きな寄り合い「国連(国際連合)」からも、日の本に対して厳しい目が向けられております。 国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW)は、「法律で夫婦同姓を強制し、結果として多くの女性が改姓を強いられている日本の制度は、女性への差別に当たる」として、過去になんと 4度(2003年、2009年、2016年、そして2024年) にもわたり、「法を改め、選択的夫婦別姓を導入せよ」という 是正勧告(改善の要求) を突きつけているのでございます。 もはやこの問題は国内の議論にとどまらず、国際社会からも「まつりごとの変革」を強く求められているのが実情にございます。
二つの正義のぶつかり合い
世界がいかに多様であれ、日の本ではなぜこれほどまでに議論が平行線を辿るのでしょうか。それは、双方が守ろうとしている「正義」が異なるからに他なりませぬ。
改革を望む声(個人の尊厳と実利)
- 歩み(キャリア)の分断を防ぐ: 現代は共働きの世にございます。長年築き上げた仕事の実績や信用が、結婚による改姓で断ち切られてしまう、あるいは旧姓を通称として使うための煩雑な手続きに追われるという「実害」を取り除きたいという声です。
- アイデンティティの喪失: 生まれ育った名という「自分自身の証明」を失うことへの精神的な苦痛を和らげるためです。
- 経済界の後押し: 経団連などの大きな商いの組織も「旧姓の通称使用だけでは、海外との契約などで限界がある」として、国に制度の導入を強く求めております。
慎重を期す声(家族の絆と伝統)
- 家族の一体感(絆): 「名字が別々になれば、家族としての結びつきが弱まり、絆が壊れてしまうのではないか」という、精神的な支柱を守ろうとする声にございます。(保守的な正義)
- 子どもの氏を巡る懸念: 「両親の名字が違う場合、子どもはどちらの名字を名乗るのか。子どもが混乱したり、いじめに遭ったりするのではないか」という、次世代への影響を案じる声です。 (※これに対し、先のアジアの例のように「子は親のどちらかの氏を名乗るルールを定めれば、家族として破綻することはない」という反論もございます)
日の本の現在地~各党の陣立て~
それでは、国の行く末を決める「まつりごと」の舞台である国会において、各政党はこの議論にどのような陣立て(政策)をとっているのでしょうか。
現状のからくりをひとことで申しますと、「政(まつりごと)の中枢を担う自民党の保守派に対し、他のほぼすべての政党が 『導入せよ』 と迫っている」という盤面にございます。
- 自由民主党(自民党) 現状、法改正の最大の「関所(壁)」となっております。党内の保守派が「家族の絆が損なわれる」と強硬に反対する一方で、党内にも賛成派が少なからずおり、真っ二つに割れている状態にございます。ゆえに党として法改正には踏み切れず、妥協案として 「法律上の氏は同姓のままとし、旧姓を通称として使える場面を広げる」 ことを基本路線としております。
- 公明党(現:中道改革連合) 自民党と連立政権を組みながらも、この問題については古くから明確に 「賛成」 の立場をとっております。多様な生き方や女性の社会進出を重んじ、折に触れて自民党に歩み寄りを促しております。
- 立憲民主党(現:中道改革連合)・日本維新の会・日本共産党・国民民主党など 与野党の垣根を越え、これらの政党はすべて 「賛成(導入の推進)」 の陣旗を掲げております。「旧姓の通称使用では根本的な解決に至らぬ」とし、個人の尊厳と合理性の観点から、国会で幾度も法改正を迫っております。
つまり、現在の日の本は 「自民党の一部(保守派)」 対 「自民党の改革派 + その他の全政党」 という綱引き状態にあり、政権与党内がまとまらぬがゆえに、長年「議論すれども決着せず」という膠着状態が続いているのでございます。
結びに代えて
この議論が難しいのは、「どちらかが完全に間違っている」わけではないからにございます。 個人の権利を重んじる「リベラル」な視点と、古き良き(と信じられている)家族の形を守ろうとする「保守」の視点。その綱引きが何十年も続いているのが現状にございます。
しかし、世界を見渡せば「家族とは同じ名字を名乗るものである」という我々の当たり前は、数あるからくりのほんの一つに過ぎないことがよく分かります。世の移ろいと共に、人々の生き方や家族の形も多様になりました。
「同姓を望む者の権利はそのままに、別姓を望む者の権利も認める」。この寛容な選択肢を、日の本のまつりごとはいかにして形にしていくのか。 我々もまた、己の足元にある「家族のあり方」を見つめ直す、良い契機となるのではないでしょうか。
本日も、わらわの修練にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。